【W杯特集】2002年日韓W杯を振り返る その②

前回、【W杯特集】2002年日韓W杯を振り返る その①と題して、当時の日韓W杯を振り返ってきました。

 

soccer-taro.hatenablog.com

 

今回は、前回の続きから書いて行きたいと思います。 

 

悪夢から4年、ヒーローになったベッカム

98年のフランス大会の決勝トーナメント1回戦、イングランド代表はアルゼンチン代表と対戦しました。

 

強豪同士の対決で、世界も注目していました。

そして、事件は起きます。

 

ベッカムに執拗にマークしていたシメオネが、ベッカムにファールした所で、ベッカムが激昂。

 

ベッカムシメオネの腹に蹴りを入れ、2枚目のイエローカードで退場処分になってしまいました。当時ベッカムも若かったので冷静さに欠けていました。

 

この退場もありイングランドはPKでアルゼンチンに敗れ、非難の矛先はベッカムへ。

 

メディアなどは「10人の勇敢なライオンと1人の愚か者」といつ表現され国内外問わず大バッシングを浴びました。

 

それから4年、欧州予選では今でも語り継がれる伝説のフリーキックを決めて、再びベッカムはワールドカップに戻ってきました。

 

そして、本大会では神のいたずらかかは分かりませんが、グループリーグでは4年前の事件の当事者でもある宿敵、アルゼンチンと対戦する事に。

 

結果、オーウェンがとったPKをベッカムが蹴りゴール。このゴールを守りきりイングランドはアルゼンチンに1-0で勝利しました。

 

ベッカム自身4年間批判を浴びるなど苦しい時期もあったと思います。

 

このPKでのゴールは今までの鬱憤は晴らし、フランスワールドカップでの事に対してリベンジを果たせたと思います。

 

日本、初の勝ち点、初のGL突破

当時日本はまだまだサッカー後進国でした。初出場のフランス大会では勝ち点を上げれず、3試合で奪ったゴールは、中山雅史の1点だけ。

世界との差を大きく感じた大会でした。

 

そして4年後のW杯は自国開催が決まっていたのでチームの強化が必須でした。

 

代表にはフランス人のフィリップトルシエを招聘しました。

 

フィリップトルシエの凄いところはユース世代と五輪世代も一貫して彼が指揮をとり戦術等を代表に浸透させた所にあります。

 

彼の手腕は結果にも現れ、99年小野や高原、稲本、本山を率いてワールドユースで準優勝をしました。FIFA主催の国際大会で初の決勝進出は日本にとって初の事でした。この年代は今でもゴールデンエイジと呼ばれます。

 

更に、2000年シドニーオリンピックではワールドユースの優勝世代に、中田英寿中村俊輔

柳沢敦などU23の選手が加わり、グループステージ突破しました。

 

決勝トーナメントでは、アメリカにPKで敗れはしましたが2年後の日韓W杯にとても期待を持てました。

 

それから2年日韓W杯カップでは、初戦のベルギー戦で鈴木隆行稲本潤一のゴールで引き分けに持ち込み、初の勝ち点をGETしました。

 

続く、ロシア戦では稲本のゴールで初めての勝ち点3。

 

3戦目のチュニジア戦も勝ち、1位で初の決勝トーナメント進出を果たしました。

 

結果としてはベスト16でトルコに敗れはしたものの、日本サッカーに新たな1ページを刻んだ大会でした。

 

連日メディアを沸かせたイケメン

当時、ベッカムさま〜と流行語になるくらいベッカムはイケメンで日本の女性たちを虜にしました。ベッカムが行く所には必ずといっていい程多くの女性がいました。

 

そして当時ベッカムの髪型はソフトモヒカンで日本人の多くの男性が真似をし、ソフトモヒカンにしていました。

 

僕が当時通っていた中学校でもあまり髪型を気にしない奴がソフトモヒカンにしてて爆笑したのはいい思い出です。

 

そして、イケメンで忘れてはいけないのがトルコ代表だったイルハンです。

 

元々注目度は低かったものの、ロン毛のあのイケメンは誰だ?から始まり大会終盤にはベッカム並み連日メディアで人気を博していまいた。

 

韓国の躍進??

当大会は韓国もホスト国で、韓国国内も日本並みに、いやそれ以上に盛り上がっていたのを記憶しています。

 

毎日ソウル市内のパブリック会場では「テーハミング」の大合唱する姿が日本で連日NEWSに

なっていました。

 

そんな韓国は予選でポルトガルに勝ち、ベスト16でイタリア、ベスト8でスペインに勝利し、準決勝まで勝ち進み、ベスト4でした。

 

この韓国の躍進についてはあまりここでは触れたくないので、『日韓W杯、韓国』とでもネット検索してみて下さい。 

 

どうしたロナウド?その髪型は

当時ロナウドとは世界最高峰のストライカーでした。そして、大会期間中、ロナウドは前髪だけ一部残すといった奇抜な髪型が話題になりました。

 

この髪型の事を『大五郎カット』と言います。

大五郎カットとは子連れ狼と言う時代劇で大五郎という少年がその髪型をしていた事に由来します。

 

なぜ?ロナウドはこの様な奇抜な髪型をしたかというと、インタビューでこう答えています。

 

「当時の私は、いくつかフィジカルに問題を抱えていて、ベストな状態でプレーできないんじゃないかという恐れがあった」

 

「周囲でも、私の負傷のことばかりが取り上げられていたから、あの髪型にしてもらった。そうしたら、ケガのことが紙面を飾らなくなったんだ」

 

要するに怪我の話題を紛らわすために髪の話題に持っていったんですね。

 

といった感じで日韓W杯を振り返ってみました。

 

当時、私は中学生で更に自国開催だった事もあり、日韓W杯についてはかなり覚えてるし、思い入れもあります。

 

正直この大会期間中はドキドキもしましたし、ワクワクもしました。

 

来月のロシア大会も少年の心を揺さぶるような大会になってもらいたいです。

 

それでは次回はドイツ大会あたりを振り返りたいと思います。

 

maha.