【W杯特集】2002年日韓W杯を振り返る その①
W杯まで約1ヶ月を切り各国代表が出場メンバーの発表だったり、予備登録メンバーの発表を行われている中、日本代表は18日にメンバー発表があるとの事で誰が選ばれるのか気になってる人が多いと思います。
しかし、ハリル前監督など協会のゴタゴタが最近あり、1ヶ月を切ってるのにW杯に対して盛り上がりに欠けているのでは?と思ってる人も多いと思います。
その中で過去W杯で日本中が一番盛り上がった大会は2002年に日本と韓国の共同開催で行われた日韓W杯だと思います。
自国開催という事で、連日W杯関連のニュースが流れ、国中がW杯一色だったと記憶しています。
当時、私は中学2年生だったのですが、校長先生がサッカーにとても理解がある方だったので、放課後多目的ホールを解放してプロジェクターで日本ーチュニジア戦を学校の友人らと見たのはいい思い出です。
さて、ここからは2002年にあった出来事とともに、日韓W杯についてプレイバックしていきたいと思います。
カメルーン代表は、W杯に出場するにあたり、大分県旧中津江村をキャンプ地としていました。
しかし、来日予定日になってもカメルーン代表一行は来日せず、ワイドショーや報道番組を連日賑わせました。更に当時村長だった坂本休さんも連日メディアに登場し、日本一有名な村長になりました。
結局、カメルーン代表は5日遅れで無事に中津江村到着しました。
余談ではありますが、大会前の親善試合でカメルーン代表対サガン鳥栖の試合が鳥栖スタジアムで組まれており、少年だった私も見に行きました。
当時のサガン鳥栖はJ2の中でも超がつく程の弱者チームでスタジアムが満員になる事はなかったのですが、カメルーン代表と試合をするという事で、スタジアムは超満員でした。
しかし、この時もカメルーン代表は試合開始時間くらいになっても会場に中々現れずに、
やっと来たと思ったらゲームは30分ハーフくらいで終わり、早々に中津江村に帰って行ったのはいい思い出の様な悪い思い出です。
因みにエムボマは試合には出ず、スーツを着てスタジアムをフラフラしていました笑
フランスーセネガルの開幕戦は、全世界の約8,9割の人がフランスが勝利するだろうと?と大方の見方でした。
なぜならセネガルは初出場で開幕戦という大きなアドバンテージもあっただろうし、
当時フランス代表は98年の前回大会を制し、2000年のユーロも制しています。
更に、当時世界最高峰の選手であったジダンを始め、アンリ、トレゼゲ、ビエラ、バルデス、テュラム、ピレス、アネルカ、シセなど各クラブで活躍する選手が揃っていたからです。
(本当にタレント集団でした(°▽°))
2002年の日韓大会でも、間違いなくフランスは優勝候補の1つでした。
しかし、大会前の韓国との親善試合でジダンが怪我をし、開幕戦に間に合わず、初戦のセネガル戦を落としました。
結局フランス代表はここから歯車が狂い、第2戦のウルグアイ戦に引き分け、第3戦のデンマーク戦ではジダンが強行出場するも、満足のいくプレーが出来ずデンマークに敗れグループリーグで敗退しました。
とちょっと長くなったので、続きは次回に書きたいと思います。
次回の2002年日韓W杯を振り返る その②
でお会いしましょう。
maha.